CD・本紹介

ハワイ女王のソングブック

フラ・ナビゲーターよしみだいすけがフラダンサーに是非おすすめしたいハワイ・フラ関連の本を紹介していきます。
今回は、『The Queen’s Songbook』です。

本の概要

題名:「The Queen’s Songbook
著者:Dorothy Kahananui Gillet
大型本(ソフトカバー)全350ページ
出版社:Hui Hānai
発売日:1999年

『アロハ・オエ』の作者としてあまりに有名なハワイ王国8代国王、クイーン・リリウオカラニの歌を集めたソングブックです。

収められているのは、リリウオカラニが書いたオリジナル・ソング55曲とリリウオカラニに捧げられた歌5曲、合わせて60曲。
全楽曲の楽譜、ハワイ語歌詞、英訳詞、曲解説がまとめられています。

音楽家としてのリリウオカラニの人生を振り返る「Liliʻuokalani and Her Music」と題した20ページに渡る略史が読み応えあります!

だいすけ
だいすけ
全編英語の本ではありますが、ワンランク上を目指すフラダンサーに、是非読んで欲しい本です

この本から得られる知識・メリットは何か?

①楽曲の歌詞・意味・背景を知ることができる

ハワイアン・ミュージシャンによって演奏されフラダンサーに踊られ続ける、リリウオカラニの楽曲の歌詞と意味、そして背景を知ることができます。
有名な↓これらの曲が含まれます。

♪『Aloha ʻOe』

この曲のメレ解説はこちら

♪『Sanoe』
♪『Kuʻu Pua I Paoakalani』

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♪『Ahe Lau Makani』
♪『Queenʻs Jubilee』

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♪『Kaulana Nā Pua』

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※それぞれの曲を解説する「メレ解説」記事は追々アップしていきます

②ハワイ王国国歌の謎も解ける

 

③リリウオカラニという人と時代背景を知ることができる

ハワイ王国最後の国王が作曲家だったという史実は、ハワイらしいといえばそうなのですが不思議といえば不思議です。
リリウオカラニがどのようにしてそのような人になったのか今に残るあの歌はいつどんな時代背景で書かれたのかを知ることができます。

王様が音楽家?!

①と②については追々メレ解説記事として書くことになるので、ここでは具体的には触れないでおきます。

③について多くのことを教えてくれるのが、音楽家としてのリリウオカラニの人生を振り返る「Liliʻuokalani and Her Music」と題した約20ページに渡る章です。
そして、これを読んでたどり着いたぼくの個人的な結論はこうです。

だいすけ
だいすけ
リリウオカラニ女王は、
「音楽に優れた国王」だったのではなく、
「国王になる運命を受け入れざるを得なかった優れた音楽家」だった

と言えますね。

リリウオカラニ女王の人生をまとめます。

リリウオカラニ女王の人生

「リリウオカラニ」という名前について

カメハメハ3世の時代、1838年9月2日、アリイ(貴族)階級の両親のもとに生まれた女の子がこう名付けられました。

リディア・リリウ・ロロク・ワラニア・カマカエハ

リディア」と呼ばれ育った彼女が、後に40歳を目前にしてハワイアン・ネームの一部に「オカラニ(天の、王の)」を付け加えた「リリウオカラニ」という名前を授かります。
贈ったのは兄のカラカウアでした。
選挙に勝って国王になった彼が、王位継承者として妹の彼女を選んだ年、1877年のことです。
その年以前の彼女は「リリウオカラニ」ではなくリディア、またはリリウと呼ぶのが正しいことになります。

0歳~15歳までのリリウ

リリウは生まれてすぐハナイ(ハワイ伝統の里子・養子システム)先である、カメハメハ大王の孫にあたるコニアとその夫パキに預けられ、二人の間にすでにいた娘バーニス・パウアヒと一緒に育てられました。

3歳になると王族の子のための特別学校「Chief’s Children’s School」(後のRoyal School)に入って西洋の教育を受けはじめました(当時まだハワイには公共の学校はありませんでした)。
この学校に通っていたスクールメイトのなかには、後にビショップ博物館とカメハメハ・スクールを創設する義姉パウアヒの他、後のカメハメハ4世アレクサンダー・リホリホ、後のカメハメハ5世ロット・カプアイワ、後の6代国王ルナリロ、実の兄で後の7代国王カラカウア、後のクイーン・エマなど、未来のハワイ王国を背負って立つ錚々たる顔ぶれが揃っていました。
そんな環境で学ぶリリウが強い関心と才能を示したのが、音楽だったそうです。
楽譜の読み書きを覚え、ピアノやギターなどの楽器をマスターしていく彼女の音楽的才能は、先生や仲間の生徒たちに認められていました。

16歳以降のリリウ

1855年 リリウ17歳になる年にスクールメイトのアレクサンダー・リホリホがカメハメハ4世になります。
1857年 19歳になるリリウが後に6代国王となるルナリロと婚約しますが間もなく解消。
1862年 24歳になるリリウがジョン・ドミニスと結婚。
1863年 カメハメハ4世が病死、彼の兄ロットがカメハメハ5世として王位継承。ロットと親しかったリリウの夫ジョンが5世の秘書になりました。
1866年 リリウ28歳の年、カメハメハ5世からハワイ国歌の制作を依頼され『He Mele Lāhui Hawaiʻi』を作詞作曲。これがリリウ初の楽譜出版となり事実上の「デビュー曲」となりました。またカワイアハオ教会のミュージック・ディレクターに就任して働きはじめます。
1868年(30) 『Ahe Lau Makani』作曲。
1872年(34) カメハメハ5世病死、選挙でルナリロが国王に。
1874年9月(36) ルナリロ病死後の選挙で兄のカラカウアが国王に。以降、91年に自身が王位を継承するまでの期間がソングライターとして生産性のピークで、50曲以上生み出します。
1876年(38) カラカウアが自身作詞の『Hawaiʻi Ponoʻī』を新しい国歌に。
1877年(39) カラカウアから第一王位継承者に指名され「リリウオカラニ」となります。
1878年(40) マウナヴィリへの小旅行をきっかけに『Aloha ʻOe』作曲。
1881年(43) カラカウア世界一周旅行中、摂政となって王の代理を務めます。
1882年(44) イオラニ宮殿完成。
1887年6月(48) ヴィクトリア女王ゴールデン・ジュビリー出席のためイギリスへ。『Queen’s Jubilee』作曲。
1891年1月(52) カラカウア病死後、8代ハワイ国王となります。
1893年1月(54) 王位継承後わずか2年でクーデターによりハワイ王国転覆。
1895年1月(55) 王位放棄を強要され、宮殿に8ヶ月間幽閉されます。幽閉中に『Kuʻu Pua I Paoakalani』など作曲。シカゴの出版社がリリウオカラニの楽譜を出版、『Aloha ʻOe』が人気を集めます。
1917年11月(79) 邸宅ワシントン・プレイスで永眠。

 

この本の紹介動画

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